2006.3.27更新







前編




僕は吉永さんの写真が好きだ。写真を始めてまだ間もなかった頃、渋谷のパルコギャラリーで吉永マサユキさんの写真展「カタログ35」を見た。吉永さんの撮った暴走族や十三の友人達のポートレイトはそれまで見たことのない写真。衝撃だった。写真集『申し訳ございません』の発売に合わせたその写真展会場には全国の暴走族から贈られてきたパチンコ屋の開店祝いのような大きな花輪が会場をズラリと囲み、ド派手な雰囲気。明らかに通常の写真展会場とは違った。その写真展を見て以来、僕は吉永さんの写真が好きになった。
それから何年か後に出版社リトルモアの前で打ち合わせに来ていた吉永さんに初めて会った。吉永さんは銀色のスクーターにまたがっていた。暴走族の写真のイメージから、僕はてっきり吉永さんは大きなバイクや黒塗りの車に乗ってると勝手に思い込んでいた。ご挨拶をし、少しだけ立ち話をしただけだったけど、吉永さんは吉永さんの撮る写真のような人だなと思った。それまでの僕の勝手な思い込みはどこへやら、軽快に銀色のスクーターに乗って帰っていく吉永さんの姿がスクーターなだけにカッコ良く見えた。



吉永マサユキ
写真家。1964年、大阪・十三生まれ。水商売、テキ屋、運送業などの職を経て、児童福祉士を目指すなど様々な経歴を持ち、カメラマンに。現在、新宿南口で工事現場仮囲いの壁に新宿で生きる人々のポートレイト写真を展示するプロジェクトを進行中。今年7月22日からは水戸芸術館にてグループ展「LIFE」に参加決定。写真集に『ニッポンタカイネ』(メディアファクトリー)『BOSOZOKU』(Trollybooks・英国)『申し訳ございません』(新潮社)、『族』(リトルモア)に加え、大阪十三での半生をつづった自伝集『へたれ』(リトルモア)、来年5月には『ゴスロリ』(PHAIDON・英国)を刊行予定。
 


長野「吉永さんのバイクの話が聞きたくて、今までのバイクのことについて聞いてもいいですか。バイクっていつ頃から乗ってますか」

吉永さん「中2の頃からバイクはパクって乗ったり、友達に借りて乗ったりしてたけどね。もちろん無免許でね」

長野「無免許で、パクってですか…初めてバイクに乗った時のことって憶えてますか」

吉永さん「新聞屋のカブと思うよ。新聞屋の2階に住んでて配達もしてたし。配達するのに乗っていってたな。大人に聞いて簡単に乗れてたよ。これだけで動くんだ、すごいもんやなぁて思ったな。でもその後ずっとバイク乗ってるから忘れてるとおもうんよ。そん時の感動とかは」

長野「いままでどんなバイクに乗りました?」

吉永さん「いままで乗ったバイクは新聞屋のカブから、パクってきたロードパルやろ、チャリンコみたいなバイクね。いろいろ乗ったなぁ。友達とかと皆でいろんなバイク、パクってたからねぇ。SUZUKIハスラーとか、ミニトレって呼ばれてたやつとかね。そんなん、いちいち憶えてないなぁ。中型でも先輩のSUZUKI GSとかサンパチとか乗ってたからね。ほとんどのバイクに乗ったことあると思うよ」

長野「じゃあ、免許を取ってご自身で初めて買ったバイクは?」

吉永さん「免許取って初めてバイクを買ったのが16才の高校のとき。KawasakiFXってバイクやった。4気筒の400CC。当時、発売されたばかりの新型。当時の400CCクラスはKawasakiFX以外、殆どが2気筒なんですよ。750CC(ナナハン)クラスとかは4気筒が多いわけですよ。4気筒はやっぱり排気音がね、音がいいわけですよ。1気筒の音が『ドッドッドッド』だとすると、2気筒はそれが2つ重なって『バババババッ』という感じなんですよ。4気筒はそれが更に重なって『ファンッファァファンッ』って鳴るんですよ。『ファァーン』って高い音で走ってるやつは4気筒」

長野「バイクを見なくても音でわかるんですね。速さよりも音に対するこだわりの方が強かったんですかね」

吉永さん「そう、音だけでわかるね。バイクのこだわりはやっぱり音やった。だから皆、改造するのって見た目とかマフラーとかやから。その当時のバイクレースとかでも音はやっぱり4気筒の音やからね。『ファァ〜ン』っていう高い音。そういう音のするバイクが欲しいわけよ。同じ気分になりたくて。速さもある思うけど、マフラーを改造して音をうるさくすればする程スピードは出なくなっちゃうけど、やっぱり音が大事やったね」

長野「吉永さんは暴走族だったんですか」

吉永さん「暴走族じゃないよ俺は。チームになんかは入ってたことない。族ではなかったけど、バイクは族仕様ですよ。ナンバープレートもつけてなかったし、いろんなとこ改造してあったし、排気音もうるさかったから。ナンバープレートは免許取り消しになって、それでも乗ってたから外したんやけどね」

長野「なんで免許取り消しになったんですか」

吉永さん「友達と須磨海岸に海水浴に行こうつってな。バイクで15人くらいでね。それで走ってたらタクシーが幅寄せして嫌がらせしてきてん。それで俺と友達ふたりでバイクに積んでた鉄パイプでタクシーに付いてる”ぼんぼり”みたいのあんでしょう、あれをパコーンっといったってん。運転手が無線で警察に連絡したんやろうね。43号線の工場地帯の広い道路をズラーっとパトカーやら白バイやら一列になって逆走してきてん。まるで西部警察みたいやったよ(笑)中央分離帯があったし、後ろから乗用車が来てるし逃げられへんよ。そんでパクられてね。共同危険行為に整備不良つけられて一発で免許取り消しですよ。共同危険行為って暴走族とおんなじよね」

長野「暴走族ではなかったのに鉄パイプ常備ですか」

吉永さん「そうそう暴走族じゃないんやけどね。先輩とか友達とかは暴走族やったけど。俺らは少し違って、当時は『少年ヤクザ』って言われてたな。ヤクザの事務所に出入りしている少年っていうこと。少年ヤクザはヤクザの義理事とか、事務所の電話番とか、葬式とかで角番とか言ってな、他所の組やおまわりさんとかに対しての見張りとか、組の人の出迎えとかやっててね。俺らはそれやった。『少年ヤクザ』は今で言うヤンキーっていう認識かな」


後半につづく


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