第3回 ブラジル・サンパウロ その2




リベルダーデには大きくて真っ赤な鳥居がある。
その道に続くのはやはり真っ赤な柱の街灯で、ちょうちん型の古びたライトが並んでいる。
ブラジルの街に突如として現れた感のあるそれらは、アミューズメントパークで感じる違和感と、夢の中にいるようなふわふわとした現実感の無さとが同時に思い出される。
いままでに触れたことのないもの、初めてのもの、見たことのないもの、に対面したときというのはなんとも居心地の悪いものだな、とふと思った。
思えば子供の頃の自分は、いつもこんな感じで世界を眺めていたような気がする。
ささいなことで吹き飛ばされないように、強くなりたいと懇願した幼い自分は、いまもまだいるのだと感じる。
35年かけて、ただ少しのものを見てきただけなのだ。
考えてみると現実感というのも不確かなもので、ただ自分が普段見慣れた景色に包まれていることだけではないはずだ。
見慣れた景色は安心感は与えてくれるが、現実感というのはなにかに触れたり、匂いをかいだり、肉体を使うことで増していく。
だからやっぱりきょうも、吹き飛ばされないように動かなくては。
きょうの予定は朝の5時からラジオ体操の見学&撮影だ。
まだ夜も明けきらないうちから、白いキャップにTシャツ、スラックスを履いたおじいちゃん、おばあちゃんがリベルダーデ駅前の広場に集まってくる。
全身真っ白だから、薄暗い歩道にふわふわと漂うように現れるさまは、なにか小さな生き物のようでかわいらしい。
というか、実際にわたしたちは小さな生き物だが。
大方人が集まると、まずは美空ひばりの歌に合わせて輪になり、盆踊りのようなものが始まった。
あれ? ラジオ体操じゃなかったけ?と思っていると、つぎは太極拳のような型をとりはじめる皆さん。
おお、いろいろ混ざってるんだな、と思ってるうちにだんだん夜は明け、最後はスタンダードなラジオ体操。
だいたい1時間かけて毎日同じノルマをこなすらしい。
平均年齢85歳には見えないくらいに、皆背筋が伸びて元気だ。
これから朝食をとりにカフェに行くという4人組のおばあちゃんについて行った。
たいてい毎日このメンバーで、同じカフェで朝食をとるらしく、メニューもだいたいいつも同じ。
4人のうち、ポルトガル語が話せるのは以前商売をしていたというおばあちゃんひとりだけらしい。
慣れた様子でみんなの分をオーダーしてくれた。
みんな移住してから何十年も経つらしいが、最初になんとか言葉を覚えようとしたものの、あきらめてからはとくに困らないのだと笑っていた。
この街で生活している限り、ブラジルとはいっても日本語だけで生活できる。
そう考えるとこのリベルダーデの街がますますぽっかりと宙に浮かんで存在しているような、不思議な感覚に陥る。
でもよく考えると、この場所に限らずそんなふうにぽっかりと浮かぶ小さな社会が無数に集まっているのが自分の住む星なのだ。
みなそれぞれの家族や友人と関わりながら、寄り添い合ってぶつかって日々は進む。
マンゴー農家の迫田さん一家のお宅もひとつの社会をつくっていた。
兄弟で農園を営む大家族だ。
取材させてください、と伺ったのだけど、わたしが着いたときにはすでに宴会の準備は整っていて、とにかくまずはビールで乾杯。
いろいろ質問してみても、みんな笑って「むかしの話はもういいよ〜きょうは飲もう!」とつぎからつぎから食べ物と飲み物を運んできてくれる。
おばあちゃんのお手製のお味噌汁、漬け物なんかもあった。
日本に働きに行っていた息子さんが戻ってきていて、肉を焼いてくれた。
彼の日本語はちょっとポルトガル語のアクセントが混ざっていて、照れながらていねいに笑顔で話してくれた。
みんな笑顔だった。
苦労した人の笑顔ってほんとに力強いなあとしみじみ思った。
おなかがたぷんたぷんになっても、最後のデザートのマンゴーは食べないわけにはいかず、おいしい〜けどくるしい〜と言いながらなんとか食べた。
日本の大家族ならではのおもてなしの数々に、酔いも手伝って自分がどこにいるのかわからなくなった。
ただ、懐かしいという気持ちに包まれた。
わたしも8人家族で育ったから、老人から子供までいるなんだかこういうぎゅうぎゅうした感じの空気に触れたのが久しぶりだったから。
もうあの頃には戻れないんだなあと思うと少し寂しい気持ちになった。子供の頃は早く抜け出したかったのに、わがままだ。
いつのまにか陽も暮れて、まわりは静かな闇が広がる。
わたしたちがいるこの部屋だけは闇に浮かぶオアシスのようだ。


ふと母方の祖母を思い出した。
彼女の自宅から徒歩1分足らずの場所に実姉が住んでいるのだが、お茶を飲んだりちょっともらいもののお菓子のお裾分けなんかしたりして、毎日おしゃべりしている。
小さな頃にそれを見ていたわたしはそんなに毎日会って話すことがあるのだろうかと疑問に思ったことがある。
その疑問を母にぶつけてみたところ、「毎日会うから話せるんちゃうかなあ。逆にたまに会う人ってなんか話すこと探さなあかんかったりするし、、、」という答えが。
その当時の自分にはいまいちピンとこなかったけど、最近はなんとなくわかるようになってきた。
一緒に過ごした時間が長いだけ、顔を見るだけでなんだかほっとしたり、ただなんでもないことをちょこっとおしゃべりすることの幸せ。
いろんな人と知り合ったり話したりすることが刺激的だった時期もあったし、いまももちろんそうなんだけど、以前よりはそういった欲求が薄れてきた。
どれだけの人とかかわっていくのか、人それぞれだろうけどわたしの場合はいまいる大切な人たちとの関係をあたためていきたいと思う。
それでも時間は否応なく過ぎていくし、自分の思いに関係なく大きなうねりに飲み込まれながら、人との出会いと別れを繰り返していくんだろう。
それは今回の旅でもそうだ。
毎日いろいろな人と出会っては別れていく。
わたしのまわりをめまぐるしく過ぎていく人たち。
そしてわたしもほかの人からすれば、その大勢のなかのひとりだ。
中川トミさんに会ったときにも、そんなことを感じた。
彼女は第一回移民船かさと丸に乗船した人だ。存命しているのは中川さんひとりだと聞いて、ロンドリーナにある自宅に伺った。
白い壁をバックに佇む彼女と向かい合い、写真を撮らせてもらったときに彼女の深い瞳を見て思った。
いったい何人の人が彼女の前を通りすぎ、どれだけのものを見たのだろう、と。
遠い日々の記憶の中に生きる彼女を前にすると、人ひとりの持つ歴史の重みについて考えさせられる。
幼い頃の話を聞かせてくださいと言うと、繰り返し好きだった歌をうたってくれた。
彼女の視線は目の前にいるカメラを構えたわたしを素通りして、遠い過去を見ているかのようだった。
いろんなことを忘れて、でもいまこの歌が彼女のなかで生きているのだと思うと、聞いていて切なかった。
わたしの知らない時代に、部屋ごとタイムスリップしたように感じた。
わたしはまだ彼女の半分も生きていない。

つづく








かまぼこ、、、なつかしい味がした。

リベルダーデの街。サンパウロにいるあいだは毎日のようにごはんを食べに行った。 冬に咲く花。
 




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